日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書) epubダウンロード
日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書)
によって 飯田 隆
3.6 5つ星のうち(12人の読者)
日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書) epubダウンロード - 内容紹介 日本語は本当に非論理的な言語なのか?なぜ「多くのこども」と「こどもの多く」は違う意味になるのか? なぜケーキを三個「食べてよい」は「以上」で、「食べなくてはならない」は「以下」を意味するのか? 「三人の男」ではなく「三冊の男」で意味が通じる理由は? オスは卵を産めないのに「ペンギンは卵を産む」と言えるのはなぜか?ありふれた日常の表現に潜む奥深い「謎」に、言語哲学の大家が満を持して挑む。通巻600号にふさわしい前代未聞の一冊!第1章 「こどもが笑った」第2章 「三人のこどもが笑った」第3章 「大部分のこどもが笑った」第4章 「どのこどもも笑った」第5章 「こどもはよく笑う」全称文と総称文 付録 様相的文脈の中の「三人のこども」 内容(「BOOK」データベースより) 日本語は非論理的な言語だと言われるが、果たして本当か。単数と複数の区別がなくても支障がないのはなぜ?「の」の意味とは?「こそあど」の論理的共通点とは?考えてみれば摩訶不思議な日本語の「謎」に、言語哲学の大家が満を持して挑む、「ことばの哲学」入門、決定版! 著者について 1948年、北海道生まれ。主に言語と論理にかかわる問題を扱ってきた哲学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。熊本大学、千葉大学、慶應義塾大学、日本大学で教え、科学基礎論学会理事長と日本哲学会会長を務めた。慶應義塾大学名誉教授。著書に『言語哲学大全』I─IV(勁草書房)、『ウィトゲンシュタイン』(講談社)、『規則と意味のパラドックス』『新哲学対話』(筑摩書房)、編著に『ウィトゲンシュタイン読本』(法政大学出版局)など多数。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 飯田/隆 1948年、北海道生まれ。主に言語と論理にかかわる問題を扱ってきた哲学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。熊本大学、千葉大学、慶應義塾大学、日本大学で教え、科学基礎論学会理事長と日本哲学会会長を務めた。慶應義塾大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書)の詳細
本のタイトル : 日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書)
作者 : 飯田 隆
ISBN-10 : 4140886005
発売日 : 2019/9/10
カテゴリ : 本
ファイル名 : 日本語と論理-哲学者-その謎に挑む-nhk出版新書.pdf
ファイルサイズ : 19.57 (現在のサーバー速度は24.65 Mbpsです
以下は 日本語と論理: 哲学者、その謎に挑む (NHK出版新書) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
わたしはウィトゲンシュタインの『論考』をすでに何冊か翻訳で読んでいますが、要素命題と真理函数で世界は記述できるという発想にずっと違和感をもっていました。その違和感の元はおそらく日常的に使われることばというよりもかなりシンプルな文と記号がその分析に使われていることです。また論理学も西洋語を基本としているために、コピユラも主語・述語も冠詞も複数形もない日本語にいかにして西洋的論理学を応用することができるのかということも以前から疑問視していました。そこで登場した本書。すごく期待して読みました。不自然な論理学での例文ではなく、日常のことばを分析の対象にしてあるのかと。しかし期待は裏切られました。かなり裏切られました。よく言語学の本で見られるのですが、例文でどう見ても悪文である、例文にしてはいけない文を見かけます。中には森鴎外などの文豪の作品から例文を出す人もいますが、多くは自分で考え出した文です。本書もとにかく悪文のオンパレード。三個のケーキを食べてよい(P81)三個のケーキを食べなければならない(P85 )三人のこどもに来てほしい(P89)こどもの先生が笑った(P120)(その)大部分が笑ったこどもがいる(P142)(その)親が来たこどもがいる(P143)笑った大部分のこどもがいる(P144)笑った三割のこどもがいる(P144)どの机と椅子も互いにぴったりだ(P172)その二人もたがいに競争しあっている(P176)このこどもが笑った(P177)このこどもたちが笑った(P177 )どのこどものともだちも来た(P183)どのこどもかのともだちが来た(P201)どのこどもがどのともだちに出したどの手紙も届いた(P203)だれかをねたんでいるだれもがいやな思いをした(P206)どのこどものどの親にもどの先生が会った(P207)などなど。。。特にチョムスキー文法などにありがちなのがひどい悪文を「文法的だ」ということで例文にし、それを自らの理論の根拠にすることです。自分の論に都合のよい文章を作り、それを根拠にしがちです(「創造的言語能力」とかいって「いままでに作ったこともない文を作ることができる」とヘンテコな文を作っても、創造性のせいだと言い訳します)。本書の悪文のオンパレードを読み、正直説得力は感じられませんでした。さすがに著者自身も文のすわりの悪さを感じたのか、本書の中で何箇所か不自然であると自己申告しています(P103、P143、P144、P147、P155、P156)。趣旨、着目点はすごくいいのですが、方法論はイマイチでした。
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